8.4 本当に大丈夫なのか?
というわけで、前節で説明した理論が現在主流の数学の基礎である: ZFC という一連の公理が存在し、それがあれば他の数学における事実上全ての結果が論理的に導出できる。バラ色の状況に思えるかもしれないが、いくつか暗雲は存在しており、数学的真理の本質が完全に解明されたわけではないことを示唆している。
-
ZFC は神が石碑に刻んだ公理ではない。多くは Zermelo によって考案されたものである。彼は聡明な論理学者であったものの、過ちを犯す人間であることに変わりはない ── おそらく彼も家の鍵をどこかに忘れた経験があるだろう。つまり、Frege と同じように Zermelo も公理を正しく規定することに失敗していて、第二の Russell が命題 \(P\) とその否定 \(\overline{\mathstrut P}\) の両方を ZFC で証明できるような命題 \(P\) を発見するかもしれない。もしそうなれば、私たちが現在理解している数学は壊れているということになる ── そんな馬鹿な、と思うかもしれないが、これは過去に起きたことである。
実は、ZFC の公理を使えば標準的な数学の命題を全て証明できることには広く合意がある一方で、ZFC の公理からパラドックスのように思える結果が証明できてしまうことも知られている。例えば、Banach-Tarski の定理 (Banach-Tarski theorem) によると、選択公理を仮定するとき、球を \(6\) 個に分割して組み替えることで元の球と同じ大きさの球を二つ作成できてしまう!
-
集合の性質の関する基礎的な疑問の中に未解決なものが存在する。例えば、Cantor は「最小の無限集合 \(\mathbb{N}\) (参照: 問題 8.12) より真に大きく、\(\operatorname{pow}(\mathbb{N})\) より真に小さい集合は存在するか?」という問題を提起した。Cantor は存在しないだろうと予想した:
Cantor の連続体仮説 (Cantor's continuum hypothesis)次の条件を満たす集合 \(A\) は存在しない:
\[ \mathbb{N} \mathrel{\text{strict}} A \mathrel{\text{strict}} \operatorname{pow}(\mathbb{N}) \]連続体仮説は一世紀以上が経過した現在でも未解決のままである。その難しさは現代集合理論において最も深遠な結果の一つが示している ── 1930 年代に Kurt Gödel が、そして 1960 年代に Paul Cohen が示したのは、連続体仮説の真偽を決定するには ZFC の公理だけでは十分でないという事実だった。つまり、ZFC の公理に従う集合の集まりであって、連続体仮説が真になるものと偽になるものが両方存在する。集合を深く理解した数学者が ZFC を説得力ある公理で拡張するまで、連続体仮説の真偽は未決定のままとなる。
-
しかし、たとえ集合に関する異なる公理系または ZFC を拡張した公理系を使ったとしても、絶対に避けられない問題が存在する。1930 年代に Gödel は、ZFC が無矛盾 (consistent) ── 任意の命題 \(P\) に対して、\(P\) と \(\overline{\mathstrut P}\) が両方証明されることがない ── なら、「ZFC が無矛盾である」という命題 (論理式で表すことはそれほど難しくない) そのものが ZFC で証明不可能だと証明した。言い換えれば、無矛盾な公理系は自身の無矛盾性を検証できるほどに強力になれない。特に、任意の公理系は不完全である: 数学における真理を全て証明することはできない。
8.4.1 情報科学における大きな無限
様々な大きさの無限と連続体仮説に関するロマンスがあなたの興味を惹かなかったとしても心配する必要はない。こういった概念について知らなくても情報科学は学べる。これまでに見てきたような無限集合に関する抽象的な問題は主流の数学分野でほとんど姿を現さず、情報科学では一度も目にしない可能性が高い: 考える集合はせいぜい加算無限であり、そもそも有限である場合も多い。「大きすぎて集合になれない」集まりを実際に気にする必要があるのは論理学や数学基礎論の研究者だけであり、これは十九世紀の数学者コミュニティが奇妙な無限の概念を「Cantor の楽園」と呼んで馬鹿にした理由でもある。しかし第 8.2 節で見たように、この奇妙な概念について正しく議論を進めるための技法が計算の論理的限界に関する重要な発見につながったのも確かであり、この結果は情報科学を学ぶ全ての人が知っておくべきである。