§8 実数

前節では正の有理数の切断に話を限定し、この切断を仮に「正の実数」と呼んだ。最終的な定義を述べるには、これまでの定義を少し変える必要がある。ここからは切断、すなわち二つのクラスへの分割を、正の有理数だけではなく \(0\) を含めた全ての有理数に対して考えることにする。このとき §6§7 で正の有理数の切断について行った議論は、「正の」という言葉を適切に省略すればもう一度行える。そして次のように実数を定義する:

有理数の切断であって両方のクラスが要素を持ち下のクラスが最大要素を持たないものを、実数 (real number) あるいは単に (number) と呼ぶ。

有理数に対応しない実数を無理数 (irrational number) と呼ぶ。

もし実数が有理数に対応するなら、その実数に対しても有理数 (rational number) という言葉を使うことにする。

この定義の結果として、「有理数」という単語の意味が曖昧になる: この単語は §1 で定義した有理数も表せるし、ここで定義した切断に対応する実数も表せる。私たちが \(\frac{1}{2} \gt \frac{1}{3}\) と言った場合、これは初等算術の命題と有理数の切断に関する命題という二つの命題の片方もしくは両方を意味する。こういった曖昧さは数学でよく登場するが、議論を傷付けるものでは決してない。命題をどのように解釈したとしても、異なる命題の関係は変わらないためである。例えば \(\frac{1}{2} \gt \frac{1}{3}\) と \(\frac{1}{3} \gt \frac{1}{4}\) からは \(\frac{1}{2} \gt \frac{1}{4}\) を結論できるが、この推論は \(\frac{1}{2},\ \frac{1}{3},\ \frac{1}{4}\) が算術的な分数なのかそれとも実数なのかに疑問の余地なく全く関係がない。ただしときには、単語の置かれた文脈からその解釈が決定されることもある。例えば §9 のように \(\frac{1}{2} \lt \sqrt{\frac{1}{3}}\) と言った場合には、この \(\frac{1}{2}\) は実数 \(\frac{1}{2}\) を意味しなければならない

読者はさらに、私たちが採用した「実数」の定義の正確な形式に特別な論理的重要性がないことを見て取るだろう。私たちは「実数」を切断、すなわちクラスの組として定義したが、上のクラスあるいは下のクラスだけを使っても定義できる。さらに、無限個のクラスの集まりであってそれぞれのクラスに実数のクラスが持つ性質が備わっているものは簡単に定義できる。数学で重要なのは記号が何らかの解釈を持つことであり、数学だけを考える限り、どの解釈を使うかは重要でない。バートランド・ラッセル氏はかつて「数学という科学では、我々は議論するものを知らないし、議論するものについての発言が正しいのかも気にしない」と言った。矛盾を含んだこの文章には、重要な真実がいくつも含まれている。ラッセル氏の言葉の意味を細かく説明したのでは時間がかかり過ぎるが、ともかく一つ言えるのはこれである: 数学記号は様々な解釈が可能であり、通常私たちには好きなものを採用する自由がある。

区別すべきケースが三つある。まず全ての負の有理数が下のクラスに属し、\(0\) と全ての正の有理数が上のクラスに属する場合がある。この切断を実数 \(\bm{0}\) (real number zero) と呼ぶ。次に下のクラスが正の有理数を含む場合がある。そのような切断は正の実数 (positive real number) と呼ぶ。最後に上のクラスが負の有理数を含む場合がある。そのような切断は負の実数 (negative real number) と呼ぶ1

正の実数 \(a\) の現在の定義と §7 の定義を比べると、下のクラスがゼロと負の有理数を含む点が異なる。§6 における \(P\) を \(x + 1 \lt 0\) として \(Q\) を \(x + 1 \geq 0\) とすれば、これは負の実数の例となる。この切断は負の有理数 \(-1\) に対応する。もし \(P\) を \(x^{3} \lt -2\) として \(Q\) を \(x^{3} \gt -2\) とすれば、有理数でない負の実数が手に入る。


  1. 全ての有理数が下のクラスまたは上のクラスに属する切断もある。この二つの切断を正の無限大および負の無限大という実数としないのはなぜかと疑問に思うかもしれない。

    こうしても論理的な間違いはないが、実用上不便になる。例えば最も自然な加算と乗算の定義が上手く行かなくなる。さらに初学者にとって解析学で主な困難となるのは「無限 (infinity)」という言葉を含む言い回しに対する正確な感覚の習得だが、経験から言って、無限大という新しい数を追加すると彼らを混乱させてしまうことが多い。[return]



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